2017年08月16日 - 2017年 お盆休みの旅 2017年8月16日(水)■関連記事■ 三江線の旅 その1 三江線とは 三江線の旅 その2 江の川 三江線の旅 その3 必殺徐行 三江線の旅 その4 ルートを決める 三江線の旅 その5 嗚呼、憧れの三江線※列車の最後尾に陣取って写真を撮影したので、写真は進行方向と逆向きになっています。5時53分、列車は定刻通り江津駅を出発しました。三江線の旅が始まります。江津駅を出発してすぐに、三江線は右に曲がって山陰本線から離れていきます。右側に見えているのが山陰本線ですそして、すぐに江の川に合流します。ここから終点の三次駅まで ほとんどの区間で江の川に沿って進んでいくことになります。河口が近いので川幅が広くなっています5時55分、わずか2分で江津本町駅(ごうつほんまちえき)に到着。江津市の中心駅である江津駅から歩いても来れる距離にあるのに、駅の周辺には民家が1軒も見あたらず、秘境駅の雰囲気をかもし出しています。江津本町の乗車客数は10年以上0人/日の状態が続いています。そして、江津本町駅駅の目の前は江の川。絶景です。江津本町駅を発車すると、早速 必殺徐行区間に入りました。三江線は、この必殺徐行区間が多い路線としても有名です。線路に平行して走る道路は道幅が狭いため、車もそれほど速度を出していませんが、それでも動画の25秒付近で一気に抜かれていきます。6時1分、千金駅(ちがねえき)に到着。待合室の右横に見えている屋根、駅舎のように見えますが、実は民家です。線路から近っ!駅の周辺はこの家を含めて周囲に数軒しかありません。千金駅の乗車客数も0人/日です。ちなみに、この駅の「千金」という名前は、この辺りで昔 砂鉄が取れたことに由来するそうです。千金駅から川平駅へと向かっているところです。必殺徐行区間です。線路周りの木々は剪定がされていないので、木の枝が車体にベキベキと当たる音が聞こえます。この辺りも民家は見当たりません。6時8分、川平駅(かわひらえき)に到着。旧三江北線の魅力は、今なお多く残る昔の駅舎。三江線で一番最初に開業した区間なので、戦前の木造駅舎がたくさん残っています。川平駅の駅舎も1930年に建てられた木造駅舎です。写真の右側のホームは今は使われていない廃ホームです。線路が撤去された跡が残っています。川平駅の乗車客数は7人/日です。おー! 7人もいる!都会やん!既に感覚が狂ってきています(笑)廃ホームに駅標がありました。いい味出しています。距離標(キロポスト)もありました。江津駅を出発して15分で7キロ進みました。平均時速28キロ(汗)速度制限標識。30キロ以下で走行しなければなりません。いわゆる必殺徐行区間です。6時23分、川戸駅(かわどえき)に到着。こちらの川戸駅は1930年に三江北線が開通した時の終着駅だった所です。駅舎も当時のものです。駅の周りには多くの民家や商店がありました。乗車客数は32人/日です。しかし、始発列車という事もあって、ホームに人影はありませんでした。まだ江津駅を出発して一人も乗降する人を見ていません。この駅にも廃ホームが残っていました。川戸駅から田津駅に向かっています。ここも必殺徐行区間です。とにかく必殺徐行区間だらけです。江の川は中国山地を貫いて流れているので、川の横から山がニョキニョキ生えているようにそびえています。絶景です。ゆっくり進むので、この絶景をじっくり楽しむことが出来ます。6時35分、田津駅(たづえき)に到着。写真はピンボケですみません。江津駅を出発して5駅目にして初めてホームに人がいるのを見ました(汗)ただし、この人も地元住民ではなく、鉄道ファンでした。田津駅の乗車客数は7人/日です。ホームに草が生えてしまってます江の川はしょっちゅう氾濫してきました。巨大堤防が建設中でした。6時41分、石見川越駅(いわみかわごええき)に到着。1931年に三江北線が延伸された時に終着駅になった駅です。駅舎も当時のものです。写真左側の草むらに廃ホームが残っていて、この駅も当時 相対式2面2線だったようです。石見川越駅の乗車客数は7人/日です。三江線の旅はまだまだ続きます。三江線の旅 その7に続きます。三江線の旅 その6 アルバムはこちら